親と子供の絆つくりのエピソード




みなさんの親子の絆つくりの感動のエピソードを紹介しています。是非、良いと思えた事は参考にしてみてはいかがでしょうか。

親と子の思いを書いた交換日記

3人の子供がまだ小学生の頃、私は仕事もしていましたので、毎日が忙しく親子のコミュニケーションが取れず、悩んでいました。

そして考えた末、気持ちの疎通を図るため交換日記をつけようと子供たちに話しました。

長男と次男はすぐに続かなくなりましたが、最後までやりとげる性格の三男は、1年間1日も欠かさず毎日日記を続けてくれたのです。その事を学校の担任の先生にお話すると、クラスで発表してくださり、三男はみんなから拍手をしていただいたそうです。

次に、幼い頃から身体が弱く学校生活で苦労した長男とは、就職を機に、交換日記を再開しました。

苦戦する仕事の苦労や、社会人として成長していくのを見守ることができました。約3年間、3冊分のノートは長男と私の絆の証です。

そんな兄の姿を見て育った次男も、立派に成長してくれました。今は亡き夫も大変喜んでくれていると思います。

 

24時間の母の看病で奇跡的に生きた私の命

今は亡き母の書いた愛児日記。戦後の貧しい中、残り紙を使った簡素なものですが、命がけで子育てしていただいた日々が書かれており、今でも一番大事に保管しています。

私が小学生のときに急きょ引っ越しが決まり、転校先の学校で新たな教科書が必要になりました。まだ教科書が無償化になるまえの時代です。

教科書を買うお金も無い我が家なので、母は、私が同級生から借りてきた教科書を、ページごとに薄紙をあてて上から字をなぞり写し書きをしてくれました。

借りては返し、数ヶ月かけて、必要な教科書を全て作ってくれたことを今日のことのように覚えています。

そんな優しく強い母に、いつかは必ず親孝行したいと思っていましたが、私が30歳のとき
、大きな交通事故で瀕死の重傷を負ってしまいました。幸い命はとりとめましたが、昼夜を問わぬ看病で体をこわした母は、54歳で帰らぬ人に、がんの再発でした。

わが身より私のことを付きっきりで看病してくれた母。私に命を継いでくれたと思えてなりません。

 

不登校で教えてくれた子の心親は知らず

小学1年の長男が不登校になり、すぐに気づいたことがありました。

ある日私が思っていたことを確実に言い当てたことがあり、私の何気ないそぶりで心の内が読めたらしい。その感受性の鋭さには驚きました。

6年間で学校に行けたのは2年半ほどでした。そんな中、6年生の修学旅行の前日、同級生の誘いもあり、この最後の行事だけは参加させてあげたい。そう思った私は、今まで伝えられなかった全ての思いを手紙に書きました。

そこに込めた愛情を感じてくれたのか、修学旅行に参加ができたのです。これは奇跡以外、何物でも無い。学校側の配慮を含め、全ての方に感謝の思いがあふれました。

子の心親は知らず。世間体を気にせず、ありのままの長男を受け入れられたときから、状況は変わっていきました。

高校、大学、社会人5年目となった息子が、1人暮らしを始めた。本音の寄り添う心の大切さを気づかせてくれた長男に、感謝とエールを送りたい。